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大道芸人インタビュー クレイパッチ 【前編】

デビット・クレイパッチ。米国ミネソタ州ミネアポリスでジャグリングを始める。大学を卒業後テキサス大学でドラマ・マイム・スピーチを学び、デイズニープロなどでマイムジャグリングを演じた後ジャグリング一座を結成。1990年NHKでそのジャグリングライフが紹介されたこともある。1994年「大道芸ワールドカップin静岡」でジャパンカップグランドチャンピオンに。

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大道芸人インタビュー クレイパッチ 【前編】
【前篇】大道芸を始めたのは日本に来てから。

「自分のほうがうまくショーができそうだな」<br />
それが大道芸を始めたきっかけ。

─クレイパッチさんが芸の世界に入ったきっかけをお聞かせください。

ミネソタの大学で4年間看護師の勉強をして、その後アメリカの病院で10年間働きました。

がんの専門病院、一般病院、救急病院、最後はロサンジェルスの心理学の救急病院。
アメリカは、そのまま放置していたら自殺や殺人をしてしまいそうな精神状態にある人を強制的に病院に入院させることができる特別な権利があるんです。
そういう人を警察とチームを組んで捕らえて、病院に入院をさせ隔離をして監視をしたりという仕事をしていました。

これはかなり危険な仕事で、私の同僚は患者が隠し持ったナイフで胸を刺されて亡くなりました。

─アメリカから日本へ引っ越してきたのは?

私の奥さんは日本人なのですが、文化の違いから夫婦喧嘩をすることが多かったんです。

日本の文化を知らないから、僕から見れば日本人は変だなあと思うことなんてたくさんあるでしょ(笑)

私にとっては、仕事よりも結婚生活が一番重要なことなんです。
だから、仕事を辞めて、私たちの関係に集中するために1989年に来日しました。

─アメリカでは病院のお仕事をしていたということは、大道芸は日本に来てから始めたんですね。

はい。
大道芸をスタートしたのはすごく遅いんです。34歳の時ですから。

あるとき新宿の歩行者天国を歩いていたら、新宿の紀伊国屋の前でバンクーバーから着た芸人がショーをやっていたんです。
それを見ていて、「自分のほうがうまくショーができそうだな」って思ったんです(笑)

それで私も紀伊国屋の前でジャグリングをやってみることにしたんです。


新宿紀伊国屋前にて

やっているうちにNHKのプロデューサーが見に来て「この新宿の歩行者天国の中では一番あなたの芸がおもしろいね」と声をかけてくれたんです。

彼は本当に私を応援してくれて、NHKのニュースの7分間のコーナーで紹介もしてくれたんです。

最初はものすごく素人だったし、自分の中ではまだ中途半端だと思っていたんだけど、それが励みになったし、うれしかったですね。



今から20年前、山下公園で大道芸を始めました。<br />
誰にも邪魔されず自由にやってましたよ。

─山下公園ではいつ頃始めたのですか?

もう今から20年前です。

その当時は、私とマサヒロ水野さん、だいたいこの二人しか芸人はいませんでしたね。

好きなところでできたんですが、人気のある場所っていうのは決まってるんですよね。

でも、今のヨコハマ大道芸のように『大道芸をやる場所はみんなの場所、お互い譲りあって使う』というのではなく、当時は水野さんが夜やるから、私は昼、と時間をわけてショーをやっていたんです。

ただ、一年に一回、7月の第3週に水野さんがアメリカで開催されるフェスティバルに出演するので、その期間だけは夜もショーをやりました。

本当は夜が一番いい時間なんですよ(笑)
若者やカップルがいっぱいいいるからね。

水野さんは、だいたい2~3年くらい山下公園でショーをやってたのかな。
水野さんが来なくなってからは、芸人はほとんど誰もこなくて私一人で大道芸をやってました。

来ると言ったら警備さんくらいで、警備さんはいつも「ここで大道芸をやっちゃだめだよ」というんだけど、言い方が全然きつくないの。

一応注意はしたけど、あとは目をつぶってくれてたんですよね。
だから私も、片付けるふりだけしたりして結局そこで大道芸をやってました(笑)

そんな感じで、およそ10年間は誰にも邪魔されず自由に大道芸をやってたんです。

─大道芸の練習はどのようにしていたんですか?

来日した当初は、奥さんの実家がある千葉県の市原に住んでいました。
アメリカの住宅に比べれば、小さいうさぎ小屋みたいなところですが(笑)

毎朝奥さんが愛妻弁当をわたしてくれて、市の体育館のすみっこで大体6時間、毎日練習していました。

それまでもジャグリングは趣味でやっていたけど、ボールも3つとか4つしかできなくて。
でも毎日練習していくうちに5つのボールができるようになって、それからハシゴやって、一輪車を練習して。
朝起きて夜寝るまで、ずっと大道芸のことで頭がいっぱいでしたね。
すごく楽しかったのを覚えています。

市原には7~8年住んで、その後名古屋に引っ越して3年間、奥さんの妹家族と暮らしました。
その時も、たいていの週末は名古屋から横浜の山下公園に通って大道芸をしていましたね。

その後は桜木町に引っ越してきて3~4年住みました。
私は桜木町が好きなんです。

その頃は今はもうないですけどフラスコでずっと練習していましたね。

1998年ころ、急に警備が厳しくなって、それまでは警備さんが注意にくるくらいだったのが、警察が来て取り締まるようになってしまい、山下公園で大道芸ができなかった時期があったんです。

大道芸は経済不振の煽りを受けやすいんですよ。

98年はバブル崩壊もあって、周辺のビジネスマンやお店のオーナーなどが「大道芸は私たちの営業を邪魔しているからやめさせてほしい」と警察に訴えてきたんです。

私はうまく日本語を話すことができなかったし、日本のポリティクスもわからなかったから、突然「山下公園で大道芸をやってはいけない」と言われても、はじめは何故なのか全然わからなかったんです。

山下公園で大道芸ができなかった頃は、ランドマークでやってました。
当時はランドマークができたばかりの頃で、本当にもう、ものすごい人だったんです。

前も後ろも人だかり。連休やイベントのない普通の土曜日でもこれだけの人が集まってたんですよ。すごいよね。


当時のランドマーク。360度お客さんで埋め尽くされていた。



大道芸をやる場所は天気次第。<br />
横浜が雨だったら大阪でやってました。

─横浜や新宿以外でも大道芸をやってたんですよね。

はい。

朝、天気予報を見るでしょ。
それで横浜の天気が悪かったりしたら、新幹線にのって大阪に行って、天保山でやっちゃう。
大阪の天気が悪かったら、仙台、北海道、沖縄。
日本中あちこちで大道芸をやってましたよ。

─今でもそうなんですか?

ノ~!
今では天気がよければ何もしたくないなあ(笑)


一輪車片手に日本全国飛び回っていた。


取材・文・写真/木村 綾

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