大道芸人インタビュー みぎわ 【前編】
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─みぎわさんが芸の世界に入ったきっかけをお聞かせください。
もともと、歌ったり踊ったりすることが好きな子供で、宝塚歌劇のように人前で華やかな衣装を着て演じることにすごく憧れてたんです。
小学校5~6年の頃から宝塚歌劇にはまって、大阪出身なので、子供の頃は阪急電車で宝塚大劇場に通ってみてました。
その影響で学生時代は演劇部に入って、「卒業後は就職しないでいっそ芸事に進もう」と決めてました。
東京に出ようと思ったとき、演劇の養成所ガイドを見てたらパントマイムのコーナーで一番広告が大きかったのが汎マイム工房だったので、やる気がある劇団なんだな、と思ってここに決めました。
大阪時代に公演を見にいったことがあったことも、きっかけの一つです。
本当は文学座や青年座で女優の訓練を受けたかったんですが、すごいお金がかかってしまうんですよね。
しかも、入るのにも敷居が高いんです。美男美女しか取らないじゃないですか(笑)
たとえ入れたとしても、半年ごとにすぐ落とされちゃうくらい厳しかったんですよ。
汎マイム工房もオーディションが一応あったんです。
審査員には山本光洋さんもいらっしゃいました。
受けたのは30人くらいいたんじゃないのかなあ、とにかく受けた人全員とってたみたい(笑)
でも実際に入った人は30人もいなかったですね。
私と同期で今活躍されてる方は、一糸堂の新堂雅之さんだけ。
一年先輩で高橋素子さん、一年後輩で京本千恵美さん。京本さんはその前にヨネヤマママコ先生のところで修行してたからマイム歴では先輩なんですけど。
汎マイム工房では3年弱修行しました。
最初の1年は、先輩がつくった20分くらいのショーのパターンがあったのでそれを練習するんです。
壁のパントマイム、3つ玉、皿回し、バルーンなど、ひと通りのことは学びました。
だいたいマスターしたら、芸にそれぞれの色をつけていくんです。
たとえばジャグリングが好きな人はジャグリングにのめり込んだり、バルーンが好きな人はバルーンを開拓したり。
私はもともと体が器用ではなかったんです。パントマイムも2年半やってあまり上手にならなくて(笑)
でも私はピアノが弾けたので、師匠のあらい汎氏に「アコーディオンを持て」と言われて、アコーディオンをかついで音楽的な要素を入れたショーを作ることにしました。
─劇団をやめたきっかけは?
劇団の公演がものすごく忙しくて、疲れ果ててしまった、というのが正直なところです。たった3年弱ですが、中ではものすごいパワーが渦巻いてましたから…。
若手の時期に、目まぐるしい公演数にたずさわることは、得難い経験なので、大変感謝しています。アングラ風な劇団の作品にも、影響を受けました。
でも元々、真逆な宝塚が好きだった訳でしょ?
そういう方面にも可能性を模索してみたい、という気持ちが芽生えてきてたところに、自分の憧れていた先輩たちが次々に独立していったので、わたしも辞めました。
パントマイムもあんまり上手じゃなかったし(笑)
劇団を辞めてからは、横のつながりでイベントの仕事をいただいて活動し始めました。
当時は、今に比べればまだ景気がよかったんです。
今は本当にびっくりするくらいないけどね(笑)
芸は、アコーディオンのフリースタイル。
アコーディオンを持ったらシャンソンを歌いたくなるでしょ?
だから歌ももちろんなんだけど、お稽古事が好きでバレエや日舞、タップやフラメンコなども習っていたので、その要素をちょっとずつまぜたり。
そうやって作った、自分らしい世界観を持った作品を1年に1回舞台公演で発表もしていました。
キャラクターも今とは全然違くて、ストンとしたワンピースで、パニエが中に入っていて、まあるい感じ。
今と比べるともっとチャーミングな雰囲気でしょ。
─まるで違いますね(笑)
コワイ方にいってますもんね、なんなら今は子供が泣く方向に進んでるよね(笑)
─これまでお一人で活動されているのですか?
一人じゃなくコンビを組んで活動もしていますよ。
京本千恵美さんと組んだり、気球座出身の太田裕美子さんとコンビでヘブンアーティストに登録して二人でアコーディオンを演奏したり。
YEN TOWN FOOLsのブッチィーとミュージッククラウンとしてエジンバラフェスティバルに出演もしました。
─現在のスタイルにたどり着いたのは?
ヘブンアーティストに登録してから、ヘブンアーティストのプロデューサーの橋本さんという方から仕事をもらうようになったんです。
それまでは、アコーディオンは弾くけどお皿を回したりもしてたんです。
そしたら橋本さんに「もう皿なんてまわさなくていいんだよ君は」って言わて。
はぁ~ってなりました(笑)「じゃあそっか、もっと自分の世界観を追求していくべきなんだな」って。
そこからですね、意識するようになったのは。
それまで歌は独学で勝手に歌ってたんです。
最初はミュージカルの先生のグループレッスンに参加していました。
そうするとだんだん声がでるようになってきたんですよね。
「オペラが歌えるようになるとかっこいいなあ」って欲が出てきて。
オペラの先生を紹介してもらって、個人レッスンを受けるようになったんです。
モーツァルトやイタリア歌曲を1~2曲歌えるようになってからは、ガーッとかわりましたね。
オペラ座の怪人をもじって、“オペラ座の道化師”。
自分らしいスタイルが形作られてきたんです。
─海外での反応はどうですか?
海外ではファントム・オブ・ジ・オペラ(Phantom of the Opera)なので、“クラウン・オブ・ジ・オペラ”と名乗ってます。図々しくも(笑)
そうですね、外国でも歌うクラウンは珍しいとは思います。
私のショーは基本的にあまり日本語でしゃべらないので、反応は日本と変わらないですね。
去年ドイツのハノーヴァーで公演をしたのですが、ヨーロッパの人って歌えちゃうくらいオペラをよく知ってるんです。
親しみがあるし浸透しているので、そういう意味では「どれくらい歌えるのかしら」みたいな感じの人はいましたよ。「ああ、そこそこ歌えるのね」って(笑)
母国語の歌詞じゃなくても、ストーリーがだいたいわかってるし、歌ひとつひとつの意味もわかってるのかもしれないから、言葉がわからなくても楽しめるんじゃないのかな。
─見る人の教養が必要な芸ですよね。
そうかも(笑)
歌舞伎とかもそうだもんね、イヤホンガイド聞きながら見てる人もいるもんね。
昨年、ハノーヴァーのフェスティバルにて
アジアは、タイ、シンガポール、韓国ですね。
いずれもフェスティバルで行きました。
特にタイはハマりますよ。
お客さんが本当にいいんです。
タイのお客さんは、まず集中力がすごい。見る姿勢も最初からあって、座ったらずっと見てるんです。
微妙な機微とかパントマイムの人が好む細かい芸を見逃さず盛り上がってくれるから、やってる方はすごい気持ちよくやれるの。
バンコクのフェスティバルにて