大道芸人インタビュー 川原彰 【後編】

足を止め、目を引き付けて離さない、大道芸の技。

どれだけ自分の世界に引き付けられるかが勝負

—川原さんがこれまでの経験を通して感じる
 大道芸の難しさや大変さはどういう部分ですか?

演劇、芝居の場合、お客さんはそれを観るためにお金を払って来てくれている。でも大道芸は、まず道行く人の足を止めることから始めないといけない。
しかもお客さんの方は、ちょっとでも「見る価値なし」と思えば、さっさと立ち去ればいい。いつでも逃げられる人たちを最後まで逃さず、こっちの世界に引き付けて楽しませるためにはどうすればいいか。
ぼくが何より神経を集中させているのはその部分だし、大道芸人たちが一番苦労するところだと思います。

—川原さんなりの工夫はどういうところですか?

ぼくがマイクや音楽を使うようになったのは、この横浜のランドマークでやるようになってからなんです。というのも、どこからでも人が集まりやすいメリットもあれば、右左後ろ、どこへでも人が散りやすいロケーションなんですよ(苦笑)だから、一瞬でも気をそらせず引き付けておくために、音楽をかけてマイクでしゃべり続けて、つねに発信し続けることを意識しています。

日常ではありえないことがありえる、だから面白い。

—これまでの大道芸の活動の中で、痛い失敗やハプニング、
 やりづらかった経験はありますか?

自分の未熟さを痛感させられたという意味で、パフォーマンスのときのぼくのトークに不愉快な思いをされた方がいて、そのクレームが横浜市に行っちゃって…。
実際には「また見たい」と楽しんでくれたお客さんの方が多かったりするんだけど、1人でもそういう気分になったということは、まだまだ自分の空気が作れていないのかなと。どんなにブラックなジョークでも、それが許される空気、笑えるノリって、絶対あるんですよ。それを作り出すのはすごく難しい。大道芸人としてずっと考え続けていく課題だと思います。

—そんな大道芸の魅力をひと言で言うと?

その人の一瞬の夢の中にいられることかな。真夏の夜の夢じゃないけど、その瞬間偶然そこを通りがかった人が、たまたまぼくを見かけて、そこで一瞬楽しさを分かち合って、またどこかへ去っていく。偶然が重なってめぐりあう奇跡じゃないですけど(笑)
「誰?」みたいな見ず知らずの人同士がピンを投げ合って一喜一憂したりとか、日常ではありえないことがありえるのが大道芸なんですよ。その人の人生の中に、ほんの一瞬でも楽しい夢を与えられる、一瞬の夢の中心にいられるのが、大道芸の一瞬、一瞬の幸せかも。

プライベートも芸も、ありのままフツーが基本。

—たとえば体づくりや、食事など、ご自身のパフォーマンスや芸のために、
 とくに気をつけていることはありますか?

体ねぇ、まったく気にしてないなぁ。筋トレとか体力アップとか、とくにこれといって何もしてない(笑)。
食事も、不摂生極まりなく。パフォーマンスの前は食べないし、あとは食べたいときに食べたいものを食べるだけ。
何しろ自分の芸の基本は、「日常の中に潜む笑い」だったりするから、自然にありのままフツーでいることが、こだわりといえばこだわりかなぁ(笑)

—全国移動されることも多いかと思いますが、
 川原さんの好きな土地、思い出や愛着のある場所は?

思い出の土地というと、カレッジ卒業後の駆け出しの頃に長期契約で仕事させていただいた福岡「キャナルシティ博多」、小倉の「リバーウォーク北九州」。経験を積ませてもらった、育ててもらった恩のある街ですね。
そしてやっぱり愛すべき場所というと、自分の活動拠点であり、もう10年住み慣れた街、横浜。
とくに「グランモール広場」は、観客側が階段になっているのですごく見やすいし、演じる側からもお客さんの反応も見えやすい。こんなに素晴らしいロケーションは他ではなかなかない。これからもこの横浜みなとみらいから、日本中に大道芸の魅力を発信し続けていきたいです。

川原彰(ジャグリング)
1969年生、新潟県出身。ストリートパフォーマーの養成校「クラウンカレッジ・ジャパン」を卒業後、東京、横浜、関西、九州など全国各地で活動。ジャグリング、マジックバルーン(風船芸)の技とともに音楽やトークでお客さんを沸かせる独自のライブスタイルが人気を呼び、日本を代表するストリートパフォーマーとして、横浜みなとみらいグランモール公園を拠点に活躍中。
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大道芸人インタビュー 次回はMr.アパッチさんです。

取材・魚見 幸代 文・多川 麗津子 写真・木村 綾