大道芸人インタビュー ハンガーマン 【後編】
─ハンガーマンさんは海外での経験も多いのですが、海外に行こうと思ったきっかけは?
うーん…。日本では僕のこと誰もほめてくれなかったから(笑)
お客さんはほめてくれるんですよ。
でも日本国内のイベントとかいろいろな大道芸フェスティバルとかでは一切ほめられないんで、僕は。
そういうときに限って、外国からきた大道芸人の点数は高いの。
日本だと外国の人はすごい人気があるからねえ。
じゃあ僕が外国いったらどうなんだ、って。
海外の人は僕のことどう見るのかな、と思って行ってみようと。
─最初はどの国に行かれたのですか?
最初はオランダのアムステルダムにいって、スペインのマドリッド、バルセロナ、最後はフランスのアヴィニヨン。
それぞれ1週間ずつ、夏の1か月で。結構ハードですよね。
だから、行く前にどこでやれるかどうかはちゃんと調べてから行きました。
─当時はインターネットとかなかったですよね。どうやって調べたんですか?
ここで大道芸が見られるとか書いてあったんですよ、ガイドブックに。
あとは雪竹太郎さんがヨーロッパでやってる、と小耳にはさんだんで。
雪竹さんも、初めてアメリカに行かれたときいろいろ人に教わったから、と言って僕に教えてくれたんですよ。アヴィニヨンで会った時に。面識はあったけどちゃんと話した事は無かったんですけどね。
それで情報を集めていきました。
でも最初、アムステルダムについた時は、ほんとに初めてだったので恐くなっちゃった。
結局アムステルダムでは2回しかできませんでした、ドキドキしちゃって。
でもだんだん慣れてきて、最後のアヴィニヨンではきっちり1週間やれました。
で次の年またどうしようかな、と。
マドリットとアヴィニヨンだけはペイできそうだったんですよ。
チップの入り具合がよかったんです。
赤字になるところは行きたくなかったので、その2か所だけ毎年夏に行くようにしたんです。
マドリッドに行って、1週間から10日やって、アヴィニヨンで1か月くらい。
バカンスです(笑)
2000年ごろからは、エジンバラにも行きました。涼しくて、稼げましたからね。
赤字にならなかったのは、観光地だからってのいうのもありますが、雪竹さんのおかげでもあります。
雪竹さんがいなかったら僕はきっと海外にはいってなかった。
だから、雪竹さんは僕の尊敬する大道芸人なんです。
今では僕も若手の芸人がヨーロッパ行きたい、って相談されたらいろいろ教えるようにしてます。
でも最近の若手の芸人さんで聞きに来る人はあんまりいないんですよね。
スタンスが違うのかも。
僕や雪竹さんは、海外に行くなら赤字にならずにきちんと稼いで帰ってくる、あくまでビジネスっていうスタンスなんです。行くんなら必ずプラスにして帰ってくる。
けど、今の人はそういう感覚じゃない人もいるのかなあ。
うーん、でもマイナスになるのはやっぱ嫌じゃないですか(笑)
─ヨーロッパと日本の違いについて感じたことは?
大道芸の歴史が長い分、日本に比べるとジャグリングへの知識が浸透しているように感じます。
ヨーロッパの人は、ジャグリングの道具を並べてたらすぐわかるので、「何やってるんだろう」と興味を持って立ち止まってくれる。
前に日本で一輪車を並べてたら「何しているの?」って聞かれたことありますからね。マジックショー?って。クラブやディアボロも並べてたんだけど。
空港の税関で、最初の年、ジャグリングナイフがひっかかったことがあるんです。
でも、「これこれ」っていってホイホイってその場で投げるまねしたら「ああわかった」って。
これも大道芸の歴史の長さかな。
ヨコハマや日本でも、僕たちが大道芸を広めて20年、今では若い人たちがたくさんジャグリングをするようになった。だんだんと大道芸が浸透してきたのかな。
─ヨーロッパでの印象的な思い出などはありますか?
ヨーロッパではおもしろいことがいっぱいありました。
アヴィニヨンでのことなんですが、
ショーをやってて、最後チップをもらう時のことなんですけど。
旅の途中のお兄ちゃんが、「おまえの芸、おもしろかったよ」って声をかけてきて。
見ると手になんかビンを持ってるんですよ。
「おもしろかったけど、お金がない。あげられるのはこれくらいしかないんだ。」って
申し訳なさそうに、コーラ瓶くらいの大きさのビンをくれるんです。
中に1センチくらい赤~い飲み物が入ってるんですけど。
ワインじゃないんですよね。でもなんか赤いんですよ。
「これあげるよ」っていうからしょうがないですよね、「ありがと」っていって飲んじゃった。
スコットランドにて。ハンガーマンの巨大ポスターが町中走り回った。
バルセロナでは、ランブラス通りってメインストリートがあるんですが、車がガーガー通ったり、音楽が鳴ってたり、うるさかったので一本入った裏通りの廃墟になったビルの前で大道芸やったんです。
で、ディアボロ(駒)を飛ばしたら、いきなりその廃墟になった5~6階建のビルに乗っかっちゃって。
つぶれたビルだから中にも入れなくて、取りにいけないから落ち込んじゃって。
その日のショーを終えて帰ろうとしてたら、廃墟ビルに警備員がいたんですよね。
僕が帰ろうとしてたときその警備員もちょうど帰宅の時間だったみたいで、一緒になったんです。
そしたらその警備員のおっちゃんが、「すき間から君の芸みてたよ」ってチップをくれたんです。わざわざ。
「さっきこのビルにディアボロが乗っかっちゃった」って説明したら、「わかった、明日取っておいてあげるから、また来いよ」って。
ほんとかな~って、だって廃墟になったビルの細いすき間からみてたっていうんですけど、明らかに後ろからですよ?結構遠いし(笑)。
半信半疑で次の日にそのビルの事務所に行ったら「おお、とっておいたよ、これだろ?」ってディアボロを渡してくれたんです。
あれはすごいうれしかったですね。
イタリアでは、僕の感覚なんですけど、イタリア男性はなぜかみんなピチピチのTシャツきてる。ジローラモさんみたいな。
そしてイタリア人は全然座んないんです。立って見てる。
階段状のステージなのに、立って見てる。不思議な感じでしたよね。
反応も意外と鈍かったんで、楽しんでないのかな、とおもったんです。
でもそうでもなかったみたいで、大道芸が終わった後ぶらぶら街歩いてて、ご飯食べようとおもってたら後ろから車がブッブーってならしてきて。
「さっき見てたよ。おもしろかったよ。」ってピチピチTシャツの男が声かけてきたんです。
「どこいくんだ?」っていうから「むこうのほう」っていったら
「乗っけてってやるよ」って。
だから楽しんでたみたいなんですよね。リアクションは薄かったんだけど(笑)
イタリア。なぜか観客が立ってみてる。
ヨーロッパではチップの感覚がまったく違うと思いました。
見てても見てなくても、おもしろくても面白くなくても、自分が働いて、それで稼いだお金があるから払ってもいい。
お金がなかったら、気持ちを伝えたいって、心から動いてる人が多かった。
─食べ物に関する思い出などはありますか?
フランスだと、ワインが2~300円なんでよく飲んでました。
スコットランドやイギリスではビール。
これがうまいんですよ。
スコットランドのビールは特に最高ですよ。
芸がおわったら、道具をホテルにおいて、シャワー浴びて、バーでビール。
ショーがぱっとしなかったらスーパーで缶ビールっていう生活をしてました。
イギリスのエディンバラにて。古い街並みを背に日本人をアピールしてます。
─海外でも大道芸のイベントやお祭りって多いですよね。
そういうお祭りに参加するのはどうやって参加するんですか?
飛び込みOKという場合もありますけど、基本的にはギャラが出るんです。
そういうのをつないで夏中やってる人もいますよ。
でもそれにはある程度のレベルがないとできないんです。
─スカウトなんかもあるんですか?
そういうこともありますよ。このイベントに来てみないかって。
97年にアヴィニヨンでやってたとき、香港の人が声かけてきて。ヨーロッパへ芸人を探しにきてて、日本人だし、近いから交通費安いしって声かけてくれて。
年明けの旧正月にイベントを開催するから呼びたいって。
でもその当時メールがなかったからFAXでやり取りしてた。何回かやり取りしてるうちに僕が勘違いして女の人だと思い込んでて。顔もおぼえてなかったけどまあなんとかなったんですよね。2週間くらい向こうでぼーっと遊んでました(笑)
あとは大道芸人の見本市みたいなのがあるんです。
でも僕はめんどくさかったから申し込まなかった。言葉もわかんないし(笑)
─苦しかったことつらかったことなどはありますか?
苦しいってことは、うーん…ほとんど忘れちゃうんですよね。
苦しいことを忘れられるから人間でいられるんですよ。深いですよ、人間は(笑)
楽しいことだけ覚えてられるからこの仕事が続けてられるんでしょうね。
─ヨーロッパへのこだわりはどんなところ?
ヨーロッパは街が古くてきれい。
その点は横浜に通じるところがあるんじゃないかな。
あとは、いつも海外にいくとその国の旗を頭につけるようにしてます。
ナショナリズムが強いから。うけるんです。
あ、横浜でも一度シュウマイを頭につけてやったことがあります。
でもあれはパッとしなかった(笑)
─今後の大道芸について思われることは?
芸なので、好きとか嫌いはいいけど、それで評価をする、点数をつけるっていうのはどうなんだろうって思ってます。
最近の大道芸イベントとかフェスティバルとかに多い傾向で、出演者を大々的に公募しているのに「スタッフが好きな基準」で毎年同じような芸人を選んじゃってる。
それじゃあつまらないんじゃないかって。
雪竹さんに聞いたことがあるんですが、フランスのある街のフェスティバルがあって、スタッフに「あなたは去年と同じ芸をするんですか?」って聞かれたらしいんです。
「そうです」って言ったら、「じゃあ今年は残念ですが」って断られちゃった。
いくらうけてても、断られちゃう。
それくらい毎年新しいものを提供しようとするイベントは多いんです。
リンツ(Linz)ってオーストリアのイベントに僕も1回出たことがあるんですが、それ以来出られないんですよね。毎年応募してたんだけど。
僕はジャグリングなんでジャグラーがたくさんいるので、出にくいんですよ。
日本人が結構出てるんで、それで出られないのかもしれないけどね。
人形劇だったり、音楽だったり、ジャグリングとパントマイム以外にもバラエティに富んだイベントにするっていうのはいいですよね。
お客さんはいろんな人、いろんな芸を見られるし、芸人同士もいろんな人に出会える。
自由に楽しめるような幅の広い大道芸人の芸が見れるフェスティバルが増えていくといいと思ってます。
なので僕も呼んでください(笑)
─最後にヨコハマで好きな場所、思い出の場所をおきかせください。
僕出身が名古屋なんですが、一番最初に名古屋から上京したとき、アメリカ横断ウルトラクイズに出たことがあるんです。
後楽園で。徳光さん時代に。第5回だったかな?
予選落ちだったんですけどね。
それが終わったあと、東京見物でもしてかえろう、って思った時に一番最初に来た場所が横浜の山下公園でした。
みなとのみえる丘公園に行って、外人墓地に行って。ひとりででね。暑い夏だったなあ。
その時はまだ誰もそこでは大道芸してなかった。
その何年後かに、まさか自分がここで大道芸をするなんて思いもしなかった。
人生ってほんとね。
不思議なこと、まだまだたくさんあるかもしれないですよね。
愛知県出身。この世にハンガーマンがいる限り大道芸は不滅です。世界中をかけめぐり、世界中を笑いの渦に落し込む男、それがハンガーマン。クラウンカレッジジャパン第一期卒業。96年に初代「ハンガーマン」襲名。その後ヨーロッパで毎年夏、大道芸生活を送る。現在は横浜、東京、大阪等のストリートで活躍中。
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大道芸人インタビュー 次回はクラウニング・ジャグリングのKajaさんです。