大道芸人インタビュー 桜小路富士丸 【前編】
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─芸の道に入ったきっかけを教えてください。
大学時代は美大で彫刻をやっていました。2年まではきっちりと彫刻をやってたんですけど、彫刻ってゴミがたくさん出るんです。
あるとき、「こんなエゴイスティックな表現物はない」って思ったら耐えられなくなって。そこからパーンと切り替えて、お芝居に転向したんです。彫刻とは反対に、空間に消えることをしたくなったんですよね。
大学を卒業して、実家がある名古屋に帰りました。役者だけだとお金にならないから、舞台衣装を作れるようになりたくて、洋裁学校に行ってました。
役者だけしていて食べられないっていうグズグズな生活はいやだったんですよ。自立心旺盛だから(笑)
でも、やっぱり役者がやりたかったんですよね。それで思い立って、家財道具全部まとめて家出しました(笑)
友達にトラックもってきてもらって名古屋から東京にでていったの。
名古屋を出る時にはすでに東京の劇団のオーディションを受けててしてて、合格かどうかわかんなかったけど、風呂なしのアパートももう東京で借りちゃってた。
劇団は無事合格してて、晴れて渡辺えりさんがやっていた劇団の、養成科の第一期生になりました。
─晴れて一期生になれたんですね。
養成科時代にではいろんなことを学びました。勉強にもなりましたよ。
でも、座長とウマがあわずクビになりまして。「自分で劇団作ればいいじゃないのよ!」とか言われて(笑)
養成科の授業の中に、パントマイムやコント等を教えにきていた芸人の講師がいたんです。
『ザ・ニュースペーパー』っていうコント集団の方なんですけど。
クビになった時、その講師に「君は役者より芸人のほうがむいているから来なさい」って、そのまま芸人事務所に連れて行かれたんです。
事務所につくと、社長に「君、パントマイムもできるし、コントもなかなかいいね。あとは他に何ができるの?」って聞かれたので、「歌がちょっと得意なのと、似顔絵ですかね」っていったら、ここで描ける?ってなって。
その場でさらさらっと描いたら「おっ!つかえるね~」って。そのまま新宿2丁目のオカマのお姉さんのいるバーに連れて行かれて、社長がリクエストするんです。
津軽海峡・冬景色とか松田聖子のあの歌歌える?みたいなかんじで。
言われるとおり歌ったら、社長が「この子どう?使えると思わない?」っていったらママが「つかえるわね~!この子いいわ~」
その場で採用決定しちゃった。
─大きく人生が変わりましたね。
そうでしょ?
「歌はできるし、絵もかける、パントマイムもそこそこできるから、じゃあ風船覚えて」ってなって、事務の女の子を呼んできて、「この子に風船わたして~」って。
何がなんだかわかんないうちに風船覚えて、もうその数日後には衣装渡されて「営業行ってきて」ってことになってた。まだ人前で一回もやったことないのに!
デビューは忘れもしない、西武園。
何やったらいいんですか!?って聞いたら、
「とにかく、ピエロの格好しなさい、メイクも今教えるから。箱の上に立ったらパントマイム、人形振り。
何も言わないでとまってなさい。
そしたら人が集まってくるから…あとは自分で考えなさい。
歌も歌えるし、絵もかけるし、困ったら風船でも作れば30分終わっちゃうよ。」
ですよ。
「えー!?」ってかんじでしょ?それがデビューなんですよ。
とにかくやるしかないから、人形の形で立ってたんです。
でも何したらいいか浮かばないから、静止時間が長くなっちゃうんですよね。
そうすると、静止時間が長ければ長いほど集まってきたお客さんも「この人は何をこれからするんだろう」ってなっちゃうんですよ。
で、ものすごい人が集まってきちゃって。
こんな集まってきちゃってどうしよう!って頭まっしろ。
パントマイムとか風船とか似顔絵とか、言われたとおりやったけど、歌なんて到底無理。まともに声も出せない(笑)
とりあえず30分終わったけど、もうこれなんなの~って。
事務所に戻ったら、社長が笑ってるんですよ。
「どうだった?」っていうから、何にもできないですよーっていったら、
「ははは、現場ってこんなもんだよ。次もあるから勉強しなさい、お尻に火がついたら稽古するでしょ?」って。
本当に、ライオンの子供を谷底に落として這い上がってきた奴だけ使うっていうかんじ。
だからそのあとは細かいことは教わることは何もなく、自分で構築していくしかなかったんです。
その頃の『ザ・ニュースペーパー』って、創立した濃いメンバーが在籍してたんです。
元ドリフの諏訪園親治さんとか松崎菊也さんとか、今はソロのスタンダップコメディアンでご活躍されてる松元ヒロさんとか。
彼らはライブだとかなり過激な時事ネタをやってたんですけど、営業だとヘビーすぎちゃって使えない。だけど営業で稼がないといけないから、みんなピエロの格好して、「はいどうも~!風船つくりましょ~!!」って営業もやってたんです。
男ばっかりだとむさくるしいから、かわいいピエロちゃんが必要、ってことで私が呼ばれて、それでくっついて全国あちこち回ったりもしていました。
『ザ・ニュースペーパー』のメンバーでやってるピエロのバンドもあったんですけど、「フロントに女の子がいるといいんだよね」っていう理由から歌も歌いましたよ。
「アニメソングのこれとこれ、クリスマスのこれとこれと覚えてきてね~。」って感じで。
ほんといつも現場仕込みでした。
─それまでは「イベント芸人」の活動ですよね。大道芸を始めたきっかけは?
もともと大道芸からスタート、っていう人は多いと思うんですが、私は美大を出ただけだし、全部現場覚え。
ありがたい事に、当時はまだバブルの後期だったので、1週間連続仕事で1日3ステージとか場数は多かったんです。
控え室で先輩に「おまえツッコミ遅せぇ!」って怒鳴られたり、自分でステージ内容も考えて事務所に提案しにいったり、とにかく現場で学んで、自分のスタイルをどんどん作ってましたね。
芸人っていうとテレビ芸人を思い浮かべがちですよね。
でも、何かのイベントを盛り上げるために全国あちこちで芸をして、経済を活性化させ、お金を回す役割をしている芸人っていうのもいるんです。それがイベント芸人。
大道芸の存在も芸の道を模索していたその頃に知りました。
本物の大道芸をやっている人がいる、ってうわさで聞いて、見に行ったんです。
それが雪竹太郎さん。
雪竹さんの芸を見て、びっくりしましたね、ほんと、すごいなあって。
大道芸に興味を持ち始めた頃、知り合いに「野毛大道芸っていうのがあるから、応募してみたら」と教えてもらってすぐに応募しました。
似顔絵で応募したら一発で合格。
その頃から事務所からのイベントの仕事と大道芸を同時進行していくようになったんです。
その頃私が出てたイベントってお客様から投げ銭を取るってことはなかったんですよね。全部ギャラ。
でも、本当の大道芸は投げ銭のみ。
投げ銭って、見ているお客さんが出せる範囲のお金を出すわけじゃないですか。私たちは物乞いみたいに「ください、ください」でお金を受け取ってるわけじゃないし、搾取もしない。
このお金ってものすごくクリーンだなって思ったの。
私はもともと環境問題や自然破壊のことに興味があったんです。
それと同時に搾取する側・搾取される側の南北問題とか、社会問題にも興味があったの。
後進国の人の犠牲の上に私たちの日本人の消費社会が成り立っているっていう自分の位置づけに悩んでいるときに、その『投げ銭』っていうお金のフェア感っていうのがものすごく素敵に思えたわけ。
何を売っているかわからない商店やショッピングモールのイベントのじゃなくて、道でお客様が払えるだけのお金をいただいて、それで暮らせたら、どんなに私ってかっこ良くてステキ、って思ったのね。
そういう大道芸のシステムやクリーンさも魅力で、そこからどんどん大道芸にのめりこんでいったんです。
いろいろなフェスティバルに出る中でいろんな芸人さんとも知り合って、そこでハンガーマンに会いました。
ハンガーマンには本当にいろいろ教わりましたよ。
アヴィニヨンにもいきました。ハンガーマンが寝泊まりしてたキャンプ場に自分のテント持ってって間借りしたり。
ここでフルーツ買うと安いよ、とかここ両替できるよ、って細かいことも全部教えてくれたんです。ハンガーマンって紳士なんですよ(笑)。
ほかにもアメリカ含め海外や東京、いろんなところで大道芸をやったんです。
─アメリカの似顔絵大会にも出場されていますよね。
はい。
似顔絵大会っていっても本当にレベルの高い大会で、例えばいろんなショッピングセンターで描いたり、プロ同士を描く、スライドを見てみんなで一斉に描いて白黒審査とか速描き、何分間に何枚かけたか、とかもういろいろ。
4日間びっちりやるから諦めちゃうひともいる。そのくらいきついんだけど、とにかくみんなうまいの。
私の画力なんてとても低くて、もうガーンって打ちのめされた。とてもかないわないと思って。
それで翌年は新しいスタイルをつくろうって思って、着物を着て墨を使って歌いながら描くパフォーマンスをしたんです。
それがすごいうけて。そしたら、たまたまそのショーをショッピングモールの人が見に来てたんです。
ショーが終わった後、「あなたのショーすごくよかったから、私が話つけてくるからいつでも来て」って。
その後も何回かはアメリカで大道芸もやっていました。
でも、結局いろいろやってみて「私には無理」って思ったんです。
体力的にもそうだし、このまま続けてくと精神的に壊れていくとおもった。
大道芸って女子がひとりでやるにはものすごくキツイの。
たとえば井の頭公園で酔っ払いのおじさんに親しく絡まれたりとか。
芸やってるときはニコニコ朗らかでしょ、お客さんがいるんだから。
でも、私もとは強キャラなんだよね。
ニコニコしてるからやさしい子なんだなー、とか勘違いして絡んできたおじさんに、しつこすぎると「いい加減にしろ!ひっこめコラァ!」とか言って追い払ったこともありましたよ。
当然お客さんびっくりしちゃって、あのひとこわ~い!ってなっちゃったけど(笑)
外国なんかでも、投げ銭を勝手に知らない人が集めて盗っちゃったり。まあ平和ボケだよね。甘いもんじゃないなぁ、ってことを痛感して。アヴィニヨンに行ったときは、ハンガーマンの名前を借りて追い払いました(笑)
ハンガーマン、向こうですごい有名だったんですよ!
体も筋骨隆々でたくましいの、おなかなんて蟹腹だし。なぜか路上で上半身裸で背中の汗ふいたりしてたのよね。体しまってるしナイフとかまわしてるし、ブルース・リーみたいなイメージだったの。だから変な人がくると「ハンガーマーン、ハンガーマーン!」とかいって叫んだりしてた(笑)
気を強く持ってスキをみせないようにしないといけなかったんだよね。それがすごく疲れちゃった。それで大道芸はリタイヤして、イベント芸人に戻りました。
でも、『ヨコハマ大道芸』のようなフェスティバルでの大道芸とか、ヘブンアーチストに登録してるんで路上でもたまにやります。
4月の『ヨコハマ大道芸』にも出ることになってます。
─桜小路さんは横浜ワールドポーターズ会場に出演されますよね。意気込みをお聞かせください。
震災後で、今までの私とはやっぱり感じが変わってるんですよね。
贅沢すぎた日常を改めながら、一人一人が、あるべき姿を見つめ直していかなきゃいけないと思ってる。
原発のことも地震のことも、今後日本が抱えていかなきゃいけない大きな問題。
そういう問題を受け止めなきゃいけないのは、生き残った元気な人達なんだから。
泣いていても不安がっててもファイトは出ないの。
私は元気を与えたり、人を活性化させるために生まれてきた人だと思うんだよね。
共振反応ってあるでしょ、人って。
泣いてる人みると悲しくなるし、燃えてる人をみると燃えてくる。
だから、私が熱くあったかく、おおらかに心を振れさせれば、きっとみんなの心にもその振動が伝わるはず。
少しでも多くの人に心の共鳴を与えたい、そういう気持ちでステージに立つつもりです。
心の刺激をもらいに是非遊びにきてください!
桜小路富士丸さんは4/16、4/17の横浜ワールドポーターズに出演します。
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