大道芸人インタビュー 川原彰 【前編】

1969年生、新潟県出身。ストリートパフォーマーの養成校「クラウンカレッジ・ジャパン」を卒業後、東京、横浜、関西、九州など全国各地で活動。ジャグリング、マジックバルーン(風船芸)の技とともに音楽やトークでお客さんを沸かせる独自のライブスタイルが人気を呼び、日本を代表するストリートパフォーマーとして、横浜みなとみらいグランモール公園を拠点に活躍中。

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大道芸は一瞬で消える夢。だから、最高に楽しい瞬間にしたい。01 ジャグリング 川原彰さん
お客さんに笑ってもらう。これ以上の幸せはない!

表現の技術を身につけることで、自信を取り戻したかった。

—大道芸の道に入ろうと思ったきっかけは?

夢見がちな田舎の少年の典型的な行動パターンですが、小さい頃からTVッ子で、憧れのテレビ業界に入るために高校卒業後、新潟から東京へ。都会に行けば何かチャンスが開けるだろうと(笑)
で、最初は劇団のアルバイトからスタートして、裏方の仕事を手伝いながら芝居の練習。ところが滑舌は悪い、セリフも上手く出てこない、即興で演技もできない。どうしようかと思い悩んでいるときに偶然「クラウンカレッジ専門学校」の広告を見て「よし、これだ!」と即応募。

—芝居の表現力や演技力にプラスになると?

いや、役者の才能は自分にはないと、そこはあきらめていました。
芝居とはまた違う自己表現の芸や技術を身につけることで、失いかけた自信を取り戻したかったというのが、そのときの正直な気持ちです。

個性やスタイルは、自分の中から引き出すもの。

—そこで学んだ「芸」が、川原さんの今のスタイルに?

授業では、ジャグリングやパントマイム、マジックなど、いわゆる大道芸の技術を教わりましたが、何しろ4ヶ月間なので、それを自分のモノにするには週末路上パフォーマンスで経験を積んで、先輩から教わった部分が大きいですね。
ただ、カレッジに入って一番良かったことは「人を楽しませる」とはどういうことかを真剣に学べたこと。
たとえばその技ができなくても、別に上手くできるようになる必要はない。その代わり、できない自分をどう面白く見せるかが表現者の腕の見せどころ。個性やキャラクターは作るのではなく、自分の中から引き出すもので、何かになろうとするんじゃなく、ありのまま自分が楽しむことが大切だと。
自然体でお客さんと向き合うスタイルとして、ぼくの場合は服装もトークも普段通りでやらせてもらっています。

—パフォーマーとして川原さんが大切にしていることは何ですか?

お客さんに笑ってもらうこと。大道芸人の幸せは、それに尽きます。
お客さんの拍手、笑い声が、さらなるパフォーマンスや頑張りにつながって、それを見たお客さんがさらに笑って元気になれる。大道芸の世界では「エネルギーの交換」といいますが、まさにそういうお客さんとの生のかけ合いが大道芸の醍醐味。
大きなイベントの仕事に呼ばれるためには技術レベルの高さも求められるけど、ぼく自身は、技術的なことよりもお客さんにウケる、笑ってもらうことが一番大切なことだと思っています。

大道芸は出たとこ勝負。その緊張とスリルに燃える!

ーお客さんを楽しませる工夫や演出も、ご自身で考えて?

自分で考えるというより、その場その場のお客さんの反応、お客さんとのかけ合いの中で偶然生まれることが多い。あるとき思わず口にした言葉がウケたら「これは使える!」みたいな。
大道芸を始めて17年になるんですが、やってることは17年前とさほど変わってない(笑)
でも、その時々のお客さんに合わせた見せ方、話し方、アドリブの利かせ方など、芸の引き出しは確実に増えている。
以前なら20分で終わる芸でも、今ならそれだけで40分それ以上、持たせられる。場数を踏んだ経験の多さというより、たぶんそれはお客さんによって鍛えられた部分ですよね。

—毎回違う発見や刺激があり、成長していく自分があるから、だから17年間同じ芸をやり続けても飽きないということですよね。

ほんと、そうなんですよ!
だって毎回出会うお客さんは違うわけで、その一瞬が勝負なわけだから、いまだに「どれくらいのお客さんが足を止めてくれるか」「どんなノリのお客さんだろう」とハラハラ、ドキドキ、まったく慣れないですね(笑)でも、そういう開けて見ないとわからない、出たとこ勝負のスリルと緊張が大道芸の面白さだし、やればやるほど飽きるどころかますます燃えるのが、自分でも不思議(笑)。

後編につづきます。

取材・魚見 幸代 文・多川 麗津子 写真・木村 綾

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