大道芸人インタビュー まろ 【前編】

横浜出身。舞台役者を経てサーカスの道へ。ジャグリングや身体表現等、多様な技術を駆使して活動しつつフランス、スイス、ドイツのサーカス学校で研修。
自身もヨーロッパ各地のステージに招待アーティストとして多数参加。 ヨーロッパトップレベルのショービジネス界に本格進出した初の日本人ジャグラー。
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大道芸人インタビュー まろ 【前編】
【前篇】世界中の人に、見せたい、伝えたい。

日本だけじゃなく世界中の人にも自分の表現を観てもらいたい

─まろさんが芸の道に入ったきっかけを教えてください。

1988年くらいから、セリフを使った舞台のお芝居を始めたんです。
劇団に入ったり、いろんな形でなんですけど、役者として十年くらい活動していました。

─もともとは役者を目指していたんですか?

別に「役者になりたい!」っていう強い願望とか夢ではなくて、自然と役者になったという感じですね。

─自然に。

はい。中学をでたら高校、高校でたら大学。特に迷いや疑いもなく普通に「こういうふうにするんだな」っていう流れと同じで、僕は「自分は将来は舞台に立つんだな」って。

何かを表現して伝えたいということは、日本人に限らず他の国の人に対しても同じ。
でも、日本語を使った芝居だと言葉の壁があるので、思うことが100%伝えられない。言葉のない表現が出来るようになれれば、そう思ってパントマイムのカンパニーに入ったんです。

もともとサイレントの映画はよく観ていて、マルセル・マルソーとかチャップリンとか、「天井桟敷の人々」っていう有名な映画に出演していたジャン=ルイ・バローとか、いいな、すごいなって思ってたんです。

劇団っていうのは、照明さんや、舞台監督、衣装さんなどたくさんの人が関わってるので、基本的に集団になってしまうのですが、パントマイムだったら、極端な話、力さえあれば自分一人で舞台が出来ちゃうんですよね。
一人だったらどこの国へもいけるし、どこででも演じることができる。

一生懸命芸を磨いて、できるだけ最高のものを観てもらいたい

パントマイムのカンパニーでは様々なレッスンがありました。
クラウン、アクロバット、ダンス、色んなことを学びましたよ。

そのクラウンのレッスンの一環として、ジャグリングの練習もあったんです。

ここでは、ジャグリングと一言で言ってもクラウンとしてのジャグリングだったんですね。
クラウンとしてのジャグリングは、「どうやって面白く見せるか」っていう要素が強いんです。道具の遊び方とか、自分と道具をどうやって見せていくか、とか。
技は二の次…ではないですが、ジャグリングの技術はそこまで重要なことではなかった。

とっかかりとしてベーシックな技は教わるんですが、技術そのものはビデオを見たりサーカスに行ったりしながら、自分で学びました。

─その後はパントマイムの仕事についたのですか?

普通の劇団っていうのは、大体チケットノルマっていうものがあって、チケットノルマに辿りつかなかったら自腹をきるんです。
なので、劇団だけじゃ食ってけないからアルバイトしながら舞台立って…、っていう感じで、舞台だけではなかなか生活できない。

僕がやっていた劇団は、それに比べればもうちょっと商業よりの演劇だったんですけど、とにかくやる以上はプロとして人前に立つのが当然という意識はありました。

それは役者にせよ、パントマイムにせよ、ジャグリングにせよ、仕事にするためにやるっていう意識はずっと強く持ってました。

その後はしゃべってジャグリングやバルーン、マジックをやったりというスタイルのショーやイベントをやるようになって、十分に生活するくらいのお金にもなったんです。

何ヶ月に一回かはアーティスティックな舞台を劇場で発表もしていたので、自分の中でのバランスもうまく取れていたし、いろんな人から「よかったね」「まろさんすごいなあ」って声をかけてもらったりして、居心地はよかったんですよね。

でも、海外のサーカスの舞台とかフェスティバルに出られるレベルには達してないのは、自分では分かっていたんです。

「すごいね」って言われても、日本ではまだ海外の本当のレベルのジャグリングが知られていなかったからであって、海外に行って「じゃあ明日そこのサーカスに出てよ」って言われたら、こんなレベルじゃ恥ずかしくて出ていけない。
だったら、海外のトップレベルのショーに出れるような芸にしなきゃって。

わかりやすい芸のほうがお客さんに楽しんでもらいやすい面もあります。
でも、お客さんが見て気づかない部分でも、一生懸命芸を磨いて、できるだけ最高のものを観てもらう、それがお客さんに対する誠実さだと思ったんです。

それで、2006年に、文化庁の新進芸術家の海外研修で2年間海外に留学しました。

ベルリンに居たころは、毎日最低でも13時間とか練習してましたよ。

─留学先はドイツでしたよね。なぜドイツに行くことにしたんですか?

最初はフランスのサーカス学校に留学しようと思ってたんです。

でも、レベルの高い学校には年齢制限があったんです。
だいたい26歳以下が条件だったのですが、僕が留学するときにはもう27歳。

どうでもいい学校だったら入学できたんですが、わざわざヨーロッパにきて、とりあえず形だけ学校に入って、「ヨーロッパでやりました」みたいなのは嫌じゃないですか。

結局4回くらいフランスに行って、毎回いろんなサーカス学校に行って練習したり話をしたりしてたんですが、いい学校は見つからなかったんです。

中途半端なサーカス学校に入るくらいだったら、日本でもダンスとかアクロバットを高いレベルで教えている学校があるので、その学校に通いながら自分でジャグリングを集中してやる方がいいかな、とも思ったんですよね。

諦めかけていたとき、あるフランス人のジャグラーが、スイスジュネーブに年齢制限のない、いい学校があるよって教えてくれたんです。

それですぐにジュネーブのサーカス学校に飛んでいきました。
でも、学校で話を聞くと「十年前までいい学校だったけど今はそうでもないよ」って言うんですよ。
十年前にいたジャグリングのいい先生が辞めてしまったらしく、今も悪くはないけどベストってことではないって。

でも、そこでまたベルリンで2校いい学校を紹介してもらうことができました。

一旦フランスに戻って、早速そのベルリンの学校に電話をかけたんですけど、電話に出ないんです。

ちょうどその時バカンスのシーズン前だったんで、もしかしたら学校が休みになってるのかもしれない。
でも、こっちは必死ですよね。学校をさがすためにヨーロッパに来てるんだから、電話に出なかったからといって諦められない。これはもう直接ベルリンに行くしかないな、って。

もともとスイスにも、ましてやドイツなんて行く予定などなかったので、ドイツ語の「ありがとう」も知らない状態だったんですけど(笑)

とりあえずベルリンの駅前でジャグリングでもしていれば、誰かジャグラーに会えるだろう、会えれば学校のことを聞けばいいやって。
学校がもし休校だったとしても、ディレクターのバカンス先を聞き出して追っかけようとまで思ってましたからね(笑)

─で、ベルリンの駅前でジャグリングはやったんですか?

いや、それが開校してたんです(笑)
紹介してもらった2校どちらも。

まず1校目は、総合のアートスクールのような学校でした。
この学校は3年コースだったんですけど、文化庁の海外留学の期限が2年間だったということ、僕の体の動きがちゃんとしたレベルをクリアしているということで、2年目からの入学を許可してもらいました。

もう片方の学校は、ジャグリングの練習場所のようなところで、授業もジャグリングのみ。
ジャグリングの練習スペースの中にプログラムがあって、コースに参加したければ参加すればいいし、アーティストが自分自身で作品作りをしていたり、プロが練習場所として利用してたり、ワークショップをしていたり。それぞれが自由に使えるんです。

僕が留学した目的は、日本では学べない正しいジャグリングを習得したいからだったので、結局ジャグリングの学校に入学することにしました。

海外では、浅く広く何でもそれなりに上手にできるっていうのじゃ通用しないんです。
5分だけでもいいからその人しかできない、専門的な、特殊な能力が求められるんですよね。

それまでは、いろんな道具を使ってジャグリングをしていたのですが、ボールジャグリングを集中して練習するにようになりました。

ベルリンの学校では、2人のロシア人の先生に教わっていたのですが、これがすごく厳しい。
彼らが高いレベルまで芸を磨くことができたのは、その厳しさがあってこそなんですよね。


現在のベルリンでの練習風景

ベルリンにいた頃は、毎日最低でも13時間とか練習してました。
長いと15時間とか。

最初の1年は稽古場の真上に住んでいたので階段降りれば直結してたし、2年目も通りを向かった真正面の30秒の所に引っ越して(笑)
とにかく食べて戻って、食べて戻ってって。食べるのもほんと作業で、いかにコンパクトに食べるかが重要で、美味しく食べるとかじゃない。

その2年間は、どっかにショーをやりに行くとかではない限りは、一日も休みもとらずにずっと練習してましたね。


現在まろさんがベルリンで住んでいるJuggling Center Berlin

─コンディション整えるのも大変ですね。

そうですね。
けっこうよく体調崩してたんです。
やっぱりそこまでギリギリまで体力を消耗してやってると風邪も引きやすくなったりしちゃうんですよね。
2週間に一回風邪ひいたりとかしてました(笑)

─その後日本に帰国してからショーのスタイルなどは変わりましたか?

日本では、わかりやすく楽しめるエンターテイメントの方が仕事がしやすいと思います。

でも僕が求めるショーをやるには、日本よりはヨーロッパの方がビジネスの環境が整ってるんです。
今回またヨーロッパに行くことにしたのは、そういう理由もあるんです。

もちろん文化の違いもあるし、自分の力不足とかもあるかもしれない。
でも、劇場でやっているようなことをそのまま大道芸でやるとお客さん集まらないですし(笑)

ヨコハマ大道芸という場で観てもらえるショーにしながらも、いかに自分の世界観を壊さずにバランスよくやっていけるか、試行錯誤しながらやっています。

(※このインタビューは2011年5月31日に行いました)

後編につづきます。

取材・文・写真/木村 綾

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